史跡 郡山城跡

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(大和郡山市)郡山城は西ノ京丘陵南端に位置する平山城です。天正年間に織田信長の命を受けた筒井順慶により築城が始まりました。天正13年(1585)年、豊臣秀吉の弟である豊臣秀長が大和・紀伊・和泉を領有して入城した際に、豊臣政権の畿内統治の拠点として大規模に整備されました。関ヶ原の戦い後に一時城主が不在となりますが、元和元(1615)年に水野勝成が城主となって以降は松平、本多、柳澤といった譜代大名が城主を務め、幕末まで幕藩体制における畿内の要所として機能しました。  廃城後に間もなく城郭建築は失われましたが、城跡には石垣や堀、地割などが今日もよく残っています。これらの城郭遺構は、織豊期から近世を通じて畿内統治の要として整備拡充されたもので、当時の土木技術や社会構造を今日に伝える貴重な歴史資産です。その価値が評価され、郡山城跡は令和4年11月に国の史跡に指定されました。史跡範囲外においても堀や町割、水系の構成が廃城後もほぼそのままの形で都市の基盤として現在の市街地に継承されています。  本丸に築かれた天守台は、城郭のほぼ中心に位置する城内最大の櫓台です。発掘調査で天守の礎石が発見され、石垣解体修理の結果と合わせて、豊臣政権期に構築されたことが判明しました。天守は関ヶ原の戦い後に解体され、近世を通じて再建されることはありませんでした。出土した金箔瓦からは、往時の天守の絢爛な姿を想像できます。

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