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「百日紅(さるすべり)」 を愛でる

<見頃:7月~9月>盛夏から初秋にかけて赤い花が百日も咲くことから「百日紅」と書く「さるすべり」。新緑の奈良公園や鷺池、荒池の周りで可憐な花を咲かせます。

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浮見堂

浮見堂

浮見堂

奈良公園・鷺池に浮かぶ檜皮葺き(ひわだぶき)、六角堂の東屋です。水面に写る姿が美しく、水辺の憩いの場となっています。現在の浮見堂は、旧浮見堂が老朽化したために、平成3年から平成6年にかけての3年間の修復工事によって、その美しさを今によみがえらせました。 春日大社より浅茅ケ原の林をぬけて行くとつきあたります。

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東大寺

東大寺

東大寺

奈良の大仏さまで知られる奈良時代創建の代表的な寺院で、都である平城京に全国の国分寺の中心として建立されました。 大仏殿は世界最大級の木造建造物です。 天平15年(743)に聖武天皇が生きとし生けるすべてのものが栄えるようにと願い、盧舎那大仏(るしゃなだいぶつ)造立の詔を発し、 天平勝宝4年(752)に大仏さまは開眼されました。以降次々と堂塔が建造され、40年近くかけて伽藍が整いました。 都が移ったあとも大仏さまの寺として朝野の篤い信仰を集めました。 しかし、治承4年(1180)平重衡の軍勢によって大仏殿をはじめ伽藍の大半を失いました。 重源上人によって再興されましたが、永禄10年(1567)の三好・松永の乱で、わずかな建物を残して再度焼失してしまいます。 現在の伽藍の多くは公慶上人らによって江戸時代に再興されたものですが、法華堂や転害門、南大門をはじめ、 各時代を代表する国宝建造物を含む多くの文化財を伝えています。

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元興寺

元興寺

元興寺

前身は6世紀末蘇我馬子によって開かれた法興寺(飛鳥寺)でしたが、平城遷都に伴い現在地に新築移建され、名も元興寺と改められました。かつては南都七大寺の一つとして威勢を振い、現在の奈良市街の南東部を占めていました。広大な寺域には、金堂・講堂・塔・僧房などが立ち並んでいましたが、平安時代半ば、その勢威も衰えてしまいました。現在では僧坊の一画が唯一現存しています。極楽坊はかつての元興寺僧坊の一部で、鎌倉時代に極楽堂〔国宝〕と禅室〔国宝〕に改築されました。中世以来庶民の信仰を集め、境内から無数の石仏と民俗資料が発見されています。法輪館には奈良時代の木造五重小塔〔国宝〕木造阿弥陀如来坐像・智光曼荼羅図・中世庶民信仰資料〔各重文〕などが多数安置されています。

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依水園・寧楽美術館

依水園・寧楽美術館

依水園・寧楽美術館

かつて奈良晒の御用商人が別邸として作った庭園で、昭和50年に国の名勝に指定された。若草山や春日山、東大寺南大門の屋根が借景となり、あたかも若草山の芝生が園内まで続くかのように中の島と築山は芝生でおおわれています。また園内には、寧楽美術館があり、東洋古美術品を収蔵・展示しています。

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名勝 旧大乗院庭園(名勝大乗院庭園文化館)

名勝 旧大乗院庭園(名勝大乗院庭園文化館)

名勝 旧大乗院庭園(名勝大乗院庭園文化館)

大乗院とは、1087年(寛治元年)に創建され、平安時代から江戸時代に栄えた門跡寺院のひとつです。1180年(治承4年)の南都焼き討ちによる焼失後に現在地に移り、廃仏毀釈の影響で明治初年に廃寺となるまで存続していました。 奈良ホテルの南側に隣接する「名勝 旧大乗院庭園」は、室町時代の徳政一揆で荒廃しましたが、その後、作庭の名手善阿弥によって改造され、南都随一の名園と称えられた庭園です。その庭園の一角に建てられた「名勝大乗院庭園文化館」には、かつての大乗院を復元した模型や関係資料の展示の無料公開や、各種催しに利用いただける茶室や会議室(有料)を備えています。

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帯解寺

帯解寺

帯解寺

華厳宗の古寺で俗に帯解地蔵と呼ばれています。平安前期、文徳天皇の皇后藤原明子がお子様に恵まれずお悩みの折、当寺本尊にご祈願され、まもなくご懐妊、無事清和天皇を安産されたことから帯解寺の名がついたと伝えられています。最近では美智子皇后、皇太子妃雅子殿下、秋篠宮妃紀子妃殿下にも岩田帯を献納しています。全国から多くの人が安産祈願に訪れています。