モデルコース

法華寺‗240326.jpg

「佐保路」 の三観音めぐり

佐保路は、東大寺の転害門から西へ伸びる道。この道沿いに点在する不退寺、海龍王寺、法華寺へ三観音を訪ねます。

エリア

平城宮跡・佐紀 佐保路

モデルコース

奈良市総合観光案内所

奈良市総合観光案内所

奈良市総合観光案内所

JR奈良駅旧駅舎は平成21年7月25日、奈良市総合観光案内所としてオープンしました。外国語観光案内、インターネットに接続した観光情報検索コーナーもあります。

JR奈良駅、近鉄奈良駅から 航空自衛隊行または西大寺駅行きバス「一条高校前(不退寺口)」下車、北へ徒歩5分。 または近鉄新大宮駅より北へ徒歩約15分。 : 公共交通機関

不退寺

不退寺

不退寺

平安時代の歌人で伊勢物語の主人公・在原業平ゆかりの寺で、正式名称は金龍山 不退転法輪寺。平安遷都ののち、平城京をなつかしむ平城天皇は、上皇として都を再び平城京に戻すことを画策されたが成功せず、都を逃れてこの地に「萱の御所」を営みました。上皇の崩御後は、第1皇子 阿保親王と第5子 在原業平が後を引き縦ぎ、承和14年(847)に業平自らが聖観音菩薩立像を刻んで開基したのが始まりとされ、別名「業平寺(なりひらでら)」とも呼ばれています。南門(重文)は鎌倉時代の本瓦葺切妻造四脚門で、本堂・多宝塔も重要文化財に指定されています。本堂に安置されている本尊 聖観音菩薩立像(重文。業平観音とも呼ばれる)は、業平の作と伝えられ藤原時代の一木造彩色の像です。

徒歩

海龍王寺

海龍王寺

海龍王寺

天平3年(731年)海龍王寺は、遣唐使の留学僧として唐に渡った玄昉(げんぼう)が一切経五千余巻と新しい仏法とを無事に我が国にもたらすことを願うため、また平城宮の東北(鬼門)の方角を護るために光明皇后によって創建されました。玄昉が帰国の途中、東シナ海で暴風雨に襲われた際、「海龍王経」を一心に唱えたところ、九死に一生を得て無事に帰国を果たしたことより遣唐使の渡海安全祈願を営むようになり、寺号が海龍王寺と定められました。初代住持となった玄昉は、海龍王寺を天皇家の私寺である平城宮内道場と定めました。また同時期に写経も盛んに行われ、光明皇后・弘法大師も写経をされており、現在も弘法大師筆とされる般若心経(隅寺心経、すみでらしんぎょう)が伝えられています。 創建当時の建物は五重小塔(国宝)・西金堂(重文)が残り、本堂には、寺門勅額(重文)・鎌倉時代に造立された十一面観音立像(重文)・文殊菩薩立像(重文)などが安置されています。

徒歩

法華寺

法華寺

法華寺

大和三門跡の1つに数えられる尼寺。奈良時代、聖武天皇が創建した総国分寺の東大寺に対し、光明皇后により父・藤原不比等の邸宅跡に総国分尼寺として建立されました。正式名は「法華滅罪之寺(ほっけめつざいのてら)」と称し、七堂伽藍を備えて隆盛を極めました。平安遷都とともに衰退しましたが、豊臣秀頼の母・淀君の発願より現在の伽藍に整えられました。桃山時代に再建された本堂は天平建築の特徴と桃山建築の特色がみられ、国宝・十一面観音菩薩立像、国宝・維摩居士坐像が安置されています。光明皇后が蓮池を渡られる姿を写したものと伝わるご本尊、国宝・十一面観音菩薩立像は通常非公開で、年3回(春、初夏、秋)の特別開扉が行われます。境内には、国史跡・名勝庭園と華楽園(からくえん)の2つの庭があり、四季折々の花々が楽しめます。江戸時代初期に作庭された国史跡 名勝庭園は、広さ約500坪あり京都仙洞御所(せんとうごしょ)の庭園から石や庭木などが移されたと伝えられています。護摩の灰を粘土に混ぜて形を作り、文様彩色を施した愛らしい犬形のお守りも知られています。