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「椿」 ~奈良の「三名椿(さんめいちん)」をめぐる

<見頃:3月~4月中旬>紅色の花びらに白い絞りを入れた大輪の東大寺開山堂「糊こばし」。一本の木に様々な花を咲かせる白毫寺「五色椿」。散り際に花びらを一枚づつ落とす伝香寺の「散り椿」。この珍しい3つの椿が、奈良の「三名椿(さんめいちん)」と呼ばれています。

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白毫寺

白毫寺

白毫寺

高円山(たかまどやま)西麓の高台に位置し、境内からは奈良市街を一望。草創については諸説あり、天智天皇の子、志貴皇子(しきのみこ)の山荘跡に建てられたという言い伝えも。鎌倉時代には多くの寺を復興した興正菩薩叡尊により、再興されたと伝わっています。叡尊の弟子・道照が中国から宋版一切経(いっさいきょう)の刷本(すりほん)を持ち帰ってからは「一切経寺」とも呼ばれ、本尊阿弥陀如来坐像や閻魔王坐像など重要文化財の仏像8体を宝蔵に収めています。境内には県天然記念物の五色椿の古木があり、奈良三名椿の1つとして有名。また、秋には参道の石段を見事な萩の花が彩ります。 (写真提供=白毫寺)

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伝香寺

伝香寺

伝香寺

伝香寺は天平宝亀年間に鑑真和上の弟子、思託律師によって開かれたといわれています。境内にある椿は奈良三名椿の一つで、花びらが一枚づつ散ってゆくところから散り椿と呼ばれています。

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東大寺 二月堂

東大寺二月堂の近くにある、東大寺開山堂の椿のある庭は非公開ですが、垣間から見ることもできます。

東大寺 二月堂

東大寺 二月堂

旧暦2月に「修二会(お水取り)」が行われたことからこの名がつきました。 二月堂は平重衡の兵火(1180年)、三好・松永の戦い(1567年)の2回の戦火には焼け残りましたが、1667年修二会の最中に失火で焼失し、2年後に再建されたのが現在の建物です。本尊は大観音、小観音と呼ばれる2体の観音像で、どちらも何人も見ることを許されない絶対秘仏です。

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春日大社 萬葉植物園

春日大社 萬葉植物園

春日大社 萬葉植物園

日本でもっとも古い歴史をもつ萬葉植物園。 万葉集に詠まれた植物約300種を栽培し、それぞれに代表的な万葉歌がそえられています。 広さは約3ヘクタールあり、園内には春日大社のシンボルでもある日本古来の花藤を「藤の園」に約20品種、200数十本植栽されているほか、「五穀の里」「萬葉園」があり、四季折々の貴重な古来の植物も数多く見ることができます。

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唐招提寺 金堂

唐招提寺 金堂

唐招提寺 金堂

金堂は8世紀後半の唐招提寺創建時の姿を残す代表的な建築物です。 外観は、正面間口七間(中央間は約4.7m、両端は3.3m)、奥行き四間の寄棟造で、前面一間通りが吹き放ち、軒を支える組み物は三手先(みてさき)と呼ばれる形式です。堂内には、中央に本尊・盧舎那仏坐像、右に薬師如来立像、左に千手観音立像(いずれも国宝)がまつられています。

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不退寺

不退寺

不退寺

平安時代の歌人で伊勢物語の主人公・在原業平ゆかりの寺で、正式名称は金龍山 不退転法輪寺。平安遷都ののち、平城京をなつかしむ平城天皇は、上皇として都を再び平城京に戻すことを画策されたが成功せず、都を逃れてこの地に「萱の御所」を営みました。上皇の崩御後は、第1皇子 阿保親王と第5子 在原業平が後を引き縦ぎ、承和14年(847)に業平自らが聖観音菩薩立像を刻んで開基したのが始まりとされ、別名「業平寺(なりひらでら)」とも呼ばれています。南門(重文)は鎌倉時代の本瓦葺切妻造四脚門で、本堂・多宝塔も重要文化財に指定されています。本堂に安置されている本尊 聖観音菩薩立像(重文。業平観音とも呼ばれる)は、業平の作と伝えられ藤原時代の一木造彩色の像です。

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平城宮跡歴史公園

平城宮跡歴史公園

平城宮跡歴史公園

和銅3年(710年)に藤原京より遷都された平城京の中心であった「平城宮(へいじょうきゅう)」の宮跡で、1998年(平成10年)には「古都奈良の文化財」の構成資産の1つとして、世界遺産に登録されました。長期間にわたって調査や復原整備が進められており、東西1.3km、南北1kmの広大な敷地に第一次大極殿、朱雀門などが復原されています。2018年(平成30年)には5つの複合施設を含む「朱雀門ひろば」がオープンし、平城宮跡歴史公園(正式には「国営飛鳥・平城宮跡歴史公園 平城宮跡区域」)となりました。四季の移り変わりを感じられる自然の風景や、1年を通じて行われる多彩なイベントも見どころです。