今井堂天満神社
平安時代末期、源頼朝が派兵した源 義経軍と滋賀で一戦を交え、木曽(源)義仲は、家臣の今井四郎兼平と共に日笠町にのがれ、この地に身を隠し、天満神社を建てた。その一子、今井隈笠四郎兼則が、父 兼平のため、北の山上に「七重の石塔」を建て、義仲の霊と共に兼平の霊を供養したのが今井堂です。神社の北東側の台地にお堂があった。お堂は、明治期朽ちてしまい、神社の参集殿に祀られた。その為、神社庁名称は天満神社ですが、地元での呼称は今井堂(天満神社)と呼ばれています。明治から大正時代、雨乞いの太鼓踊りが盛んにこの神社及び近辺で行われました。ご造営の都度に氏子の無病息災を願い「絵馬」を奉納して参りました。現在残る絵馬の数は、185点あります。最古の絵馬は、寛政6年の「安宅の関」を描いた歌舞伎絵の絵馬が残っています。兼平の宿敵である義経を家来の弁慶がこん棒で打ちのめす絵図です。最新の絵馬は、令和5年4月の造営の時に、帝塚山大学か奉懸の絵馬(疫病〔コロナ〕退散の葦毛の馬)です。(拝殿中央)近くには、「日笠フシンダ遺跡」があり、そこからは奈良時代最古級の絵馬が発見されています
詳細情報
住所 | 〒630-2173 奈良県奈良市日笠町710番地 |
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アクセス・バス乗り場 | JR奈良駅、近鉄奈良駅から 田原方面行き「田原大野」下車、徒歩10分 |